ABOUT COMEDY

2011/05/05

喜劇とは、人を笑わせることを主体とした演劇や映画、ラジオやテレビのドラマ作品のこと。 コメディとも言います。西洋演劇に端を発するコメディは、元々は悲劇の対照を成すものであり、必ずしも笑えるものとは限りませんでした。

HISTORY of WINE

2011/05/03

コメディアンとは、コメディ即ち喜劇を演じる俳優のこと。コメディアンは主に小道具等を用いたどたばた喜劇をすることが多いようです。 道化師が派手な服装と化粧をし、どたばた喜劇をしますが、ほとんどのコメディアンが言葉のスタイルのユーモアに焦点を合わせるため、 道化師とコメディアンを区別することができます。19世紀以前、コメディアンの主な活動の現場は舞台でした。映画の発達以降、 舞台から映画に進出する者も現れ、国際的に名の知られるコメディアンも誕生するようになりました。 例えばボードビルのミュージシャンから表現活動を始め、後に多くの映画に出演したマルクス兄弟などがいます。

チャールズ・チャップリン

映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもちます。愛称は“チャーリー”、または“シャルロ”。 各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易です。また、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、 「世界の三大喜劇王」と呼ばれます。

バスター・キートン

チャーリー・チャップリンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれています。 「偉大なる無表情」を一切崩さずに行う、体を張ったアクションとギャグが最大の特徴といえます。 偉大なる無表情とは、喜怒哀楽を表情に出しません。その表情と命がけのアクションとのギャップがファンに愛されている理由の 1つだともいえます。急斜面を転がり落ちたり、列車の上を全速力で駆け抜けたりするなど、非常にアクロバティックです。 アクションに限らず、映像技術や特撮技術を駆使したような、トリック要素が多く盛り込まれたギャグも多用します。 作品の特徴としては、チャップリン作品に形容されるような悲劇的な要素はあまり見受けられず、 スラップスティック・コメディにロマンス要素が加味された作品が多いです。基本的にはハッピーエンドです。

ハロルド・ロイド

1920年代を主に活躍したサイレント映画の大スターであり、チャーリー・チャップリンやバスター・キートンと並び、 「世界の三大喜劇王」と呼ばれています。 子役、エキストラを経て、約200本近くの映画に出演。多くの作品にカンカン帽にセルロイドの丸ぶち眼鏡という独特の スタイルで登場しました。都会的な一好青年によるドタバタ喜劇というのが特徴で、気弱な主人公が、いざ恋する女性のために一念発起、 大奮闘する姿がよく描かれました。この丸ぶち眼鏡を通称"ロイド眼鏡"というのは、彼にちなんでいます。

ローレル&ハーディ

かつてサイレントからトーキーの時代にかけて活躍したアメリカのお笑いコンビ。 チビではにかみ屋のスタン・ローレルと、巨漢で気むずかし屋のオリヴァー・ハーディによるこのチームは、 日本でも「極楽コンビ」の名称で親しまれました。笑いのスタイルとしては、ささいなことから争いが始まり、 お互いにぶっ壊しっこをして、最後にはすべてが滅茶苦茶になるというのが基本のパターンでした。 コンビを組んで17年、長編、短編あわせて出演作は104本にのぼります。 またこうしたコンビには珍しく私生活でも2人は仲が良かったそうです。

マルクス兄弟

5人兄弟のうちのチコ、ゼッポ、グルーチョ、ハーポの4人を一般にマルクス兄弟と称します。 ナンセンスでスピーディーなギャグで有名。ハーポの狂奔的な動きと、グルーチョのナンセンスなマシンガントークが最大の売りです。 「イタリア訛り」でしゃべるチコは、ハーポとコンビでの役柄が多いですが、喋らないハーポとグルーチョとの間の コミュニケーション・ギャップの通訳的役割で笑いを取ることも多い。また、ハーポのハープ演奏、チコの「指一本でのピアノ演奏」も ウリでした。

ダニー・ケイ

『The Straw Hat Revue』でブロードウェイデビューを果たし、その後、ブロードウェイ・ミュージカル 『レイディ・イン・ザ・ダーク』に出演し、さらにわずか39秒で50人のロシア人作曲家を早口で暗唱する 『チャイコフスキー』という曲で大絶賛を浴びました。さらに、彼の才能に注目した映画製作者サミュエル・ゴールドウィンの 誘いにより映画界入りを果たし、『ダニー・ケイの新兵さん』で映画デビューを飾ります。以降、『ダニー・ケイの天国と地獄』や 『虹を掴む男』、『ホワイト・クリスマス』、『五つの銅貨』等、数々の映画に出演。 独特の早口で歌う様やコミカルな演技で人気を博しました。

ジャック・タチ

若い頃からパントマイムの道を志し、得意だったスポーツをネタにした芸でならします。ミュージックホールの舞台に立ち、 シドニー=ガブリエル・コレットから激賞を受けるなど人気を博しました。その後映画の仕事も始めましたが、 最初に話題になったのは、ルネ・クレマンが監督し、タチは脚本と主演を担当した『左側に気をつけろ』という短編映画。 ここでもお得意のボクシングの芸を披露している。クロード・オータン=ララの『乙女の星』と『肉体の悪魔』に出演した後、 短編映画『郵便配達の学校』 を初監督します。その後多数の映画を制作し人気を博しました。

ボブ・ホープ

ブロードウェイでの演劇やラジオ、映画、テレビ、軍隊での慰安興行への出演など、広く活躍しました。 その皮肉な毒舌と機知で広く親しまれ、1930年代から1990年代まで第一線級の芸能活動を続けました。 20世紀のアメリカを代表するコメディアンの一人。実際には、ギャグのネタ自体は専属のギャグライターを多数雇って書かせていました。 セコいネタも少なくなかったのですが、それでもアドリブのうまさが超一級であったため、聴衆受けは良かったとうことです。

ピーター・セラーズ

第二次世界大戦中にイギリス空軍に入隊し、終戦までに兵長に昇任しました。慰問の任務で芝居をしていたほか、 任務の合間に上官の物真似をしていたことが、後の演技に役立ったようです。映画『ピーター・セラーズのマ☆ウ☆ス』や 『博士の異常な愛情』では一人三役を演じて評判になるなど、作品ごとに声や発音を使い分け、フランス人・イタリア人・ インド人・中国人など、様々な国のキャラクターを巧みに演じ分けて、観客の笑いと感嘆、そして天才の名を得ました。

メル・ブルックス

16歳でスタンダップ・コメディアンとして舞台を踏んだ後、ヴァージニア・ミリタリー・インスティチュートの士官候補生になります。 軍務を終えてからは、シド・シーザー主演のテレビ番組などでコント作家として活躍しました。番組の共同作家には、 ニール・サイモンやウディ・アレンがいました。1960年代には、カール・ライナーとコンビを組んで発表したコメディ・レコード 『2000 イヤー・オールド・マン』や、原作・脚本を担当したテレビドラマシリーズ『それ行けスマート』で高い評価を得ました。 コメディーやパロディ映画を得意としましたが、プロデューサーとして『女優フランシス』、『ザ・フライ』、 『エレファント・マン』などのシリアスな作品も手がけています。ただしシリアスな作品の製作は匿名で行っており、 その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのことだそう。